南條 文雄  Bunyu NANJO  1849~1927

嘉永2年(1849)5月12日美濃国大垣船町の誓運寺英順の三男に生れる。幼名は恪丸・恪順、号は碩果。明治元年京都東本願寺・高倉学寮に入り、翌年帰郷。明治4年高倉学寮で教鞭を取っていた憶念寺南條神興の養子に入り、得度し文雄と改名する。明治9年笠原研寿とともに渡英、オックスフォード大学のマックス・ミュラーのもとでサンスクリット(梵語学)の研究に従事。明治16年英国で出版された「大明三蔵聖教目録」は「Nanjo-Catalog」を称され、大きな評価を得る。明治18年東京帝国大学文科大学で梵語学の嘱託講師をつとめ、明治22年文部省より日本第1号の文学博士の称号を授与される。明治36年初代学監・長清満之の後を受けて、東京巣鴨の真宗大学(大谷大学)の第2代学監に就任。その後京都に戻った同大学の学長をつとめ、学事体制の整備を進めつつ、仏教学・東洋学の学界における近代的な仏教研究の必要性を説き、その教育・普及に尽力する。昭和2年(1927)11月9日遷化、78歳。正四位に叙せられる。

 
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